「黒い羊」に思うこと

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どうも!ひつじかいです(*^^*)

欅坂46さんがデビューしたときは衝撃的でした。

アイドルなのに笑顔がない!?歌の歌詞も少しダークな感じなのが特に魅力的だと思いました。

私が、学生のときにデビューしていたら相当なファンになっていただろうなと考えます。

名前が『ひつじかい』なのと、欅坂46さんが好きなので「羊飼い」の意味や「黒い羊」について思うことと聖書の一文をご紹介していきます。

ちなみに、MVもとても素敵なので見てみていただければと思います!

欅坂46 「黒い羊」

羊飼いとはなにか(聖書引用)

羊飼いとは、その名の通り「羊を飼育し、放牧している人」のことです。

聖書にもよく「羊飼い」が出てきます。

聖書の中で有名な羊飼いの話は、ルカによる福音書15章4節~7節「見失った羊」のたとえかと思います。

「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

ルカによる福音書15章4節~7節より

聖書によっては、訳文が少し異なっているかもしれませんが、神は一人として誰も見放すことはないということを言い表していると考えます。

キリスト教では、羊飼い=イエス・キリストとも言われています。

わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。ー狼は羊を奪い、また追い散らす。ー彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受け入れるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、私が父から受けた掟である。

ヨハネによる福音書10章11節~18節より

ヨハネによる福音書1011節~18節「イエスは良い羊飼い」からもわかるようにイエス・キリストは自身で羊飼いだと言っています。

羊の群れは、私達人間で、それを導こうとしているのが神の子イエス・キリストということなのでしょうね。

私はクリスチャンではないですし、宗教に熱心なタイプではありません。

しかし、聖書における「羊飼い」の話は心にとても残っています。

羊飼いとは、羊を飼育、放牧する人。
または、イエス・キリストのこと。

私の名前はただ単に本名との語呂が似ていたり、職場の名前が似ていたりして友達に付けられたものなので、聖書的な意味はありません^^;

人を導けるほど人間が出来ていないですが、誰かの心に引っかかるブログが書けたらな・・・と思っています。

聖書に「黒い羊」は出てくるのか

私は旧約聖書は全部読んでいて、新約聖書に関してはところどころしか読めていないので、見逃しているかもしれません。

「黒い羊」と明言している箇所は恐らくないのではないかと思います。

(もし間違いなどがあったら訂正させていただきます)

ただ、ヨハネの黙示録7章14節に「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を子羊の血で洗って白くしたのである。」という一文があります。

これを黒い羊に結びつけるのは、無理矢理感があるかもしれませんが「白い羊の血には汚れを浄化してくれる効果がある」と考えることも出来るかもしれません。

う~ん・・・聖書は奥が深くて、私には読み解くのが難しいです。

神父様や牧師様ならきっと良い説教をしてくれると思いますので、ご興味がある方は日曜礼拝に参加してみると良いかもしれませんね(^^)

信者の方でなくても礼拝に参加出来る教会はありますので、調べて事前に連絡することをおすすめします。

ちなみに、教会を選ぶコツとしてはカトリックとプロテスタントの違いを理解して、カトリックやプロテスタントでも宗派がたくさんあるというのを学んでいると良いと思います。

私は行くなら出身学校の宗派(プロテスタント内のとある宗派)と同じところが良いと思っています。

ホームページ等で一般参加歓迎の教会が一番行きやすいのかなと思います。

「黒い羊」は少数派なのか

「黒い羊」は、白い羊が多い中で悪目立ちしてしまうことから「のけ者、厄介者、見捨てられた者、変わり者」 などという意味で使われています。

欅坂46さんの歌詞には、学校での人間関係の悩みが書かれていることが多いですよね。

本当に秋元康さんは女子高生の気持ちを何故こんなに書けるんだといつも驚かされます。

今回の「黒い羊」も学校での人間関係がメインですよね。大人の人間関係にも言えますが、人と違う言動をする人を白い目で見るってよくあることだと思います。

冒頭の歌詞で「信号は、青なのかそれとも緑なのかどっちなんだ?あやふやなものははっきりさせたい」とありますが、曖昧な答えではなく白黒はっきりさせたいという考えが見受けられます。

あやふやのものははっきりさせたいという言葉に反して「放課後の教室は苦手だ その場にいるだけで分かり合えてるよね 話し合いにならないし 白けてしまって僕は無口になる 言いたいこと言い合って 解決しようなんて楽天的すぎるよ」という歌詞があります。

はっきりさせたいと思うけど、話し合いをしても、言いたいこと言い合っても解決なんて出来ないことを悟っていますよね。

自分の願望と現実は違うことを理解しながらも苦しんでいる主人公像が見えます。

サビ以降では、「僕だけがいなくなればいいんだ」、「反対が僕だけならいっそ無視すればいいんだ」と自分が「黒い羊」であることを認めて白い羊の群れから離れようとしてることが見受けられます。

「人生の大半は思う様にいかない 納得できないことばかりだし諦めろと諭されてたけど それならやっぱ納得なんかしないまま その度に何度も唾を吐いて噛みついちゃいけませんか?」この歌詞が主人公の本音で願望だと考えます。

周りに染まらずに、自分の意見も言いたい。みんなと同じという思想から脱却したい気持ちが伝わります。

白い羊も白いからと言って、個性がないわけではないですし、黒い羊もそれぞれの考えや意見を持っている。

ただ、白い羊が多数派というのと周りに合わせるのが上手いのでしょう。

「黒い羊」の中にも思っていないことだろうが
人に合わせられる者もいるから案外「黒い羊」は、
少数派ではないと思います。

「白い羊のフリをした黒い羊」も黒い羊とするならですが・・・

しかし、「黒い羊」を厄介者とするなら、白い羊からの悪意で除け者扱いされているでしょうから完全な少数派なのだと思います。

自分が「黒い羊」だと思うのは危険

私自身、子どもの頃から「自分は変わり者」だと思っていました。

現時点でも「変わり者」だと思っています。

「変わり者」でも自分を黒い羊だとは思いませんし、恐らく白い羊のフリも出来ます。

例えば、「黒い羊」だけで集まったらどうなるでしょうか。

「黒い羊」だけの集まりも集団としては、上手くいかないかもしれませんよね。

結局人間は、集団を作るとその中で誰かが除け者(厄介者)となってしまうのかもしれません。

いつも自分の意見ばかり主張しているだけでは、人間関係の構築がとても難しく、社会との関わりがなくなってしまう可能性もあります。

学生のうちは「自分は黒い羊だから」と人との関わりを断っても良いと思いますが、大人になったとき自分を持ち過ぎていると周りとの関係だけではなく、自分自身も生きづらさを感じるようになると考えます。

「自分は少し変わっているのかもしれないけど、 それも個性。
みんなもそれぞれ違う考えを持っていて当たり前。」

無理に意見を合わせることはしなくて良いですが、お互いが尊重し合いたいですよね。

最後に

私は、欅坂46さんも秋元康さんの歌詞も大好きです。

今回は「羊」繋がりで、「黒い羊」について書きましたが、歌詞の捉え方は十人十色だと思います。

欅坂46さんの世界観は、若い世代ほど引き込まれると思うので、引き込まれすぎて自己否定に走らなければ良いなと思って書いてみました。

「黒い羊」だろうが「白い羊」だろうがお互いを受け入れ合える世の中になれば良いなと考えています。

自分と違う考えの人を排除することは、出来るだけしたくないですね。(犯罪行為は許されないので、肯定出来ないこともあります)

それではまた(*^^*)

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