どうも、ひつじかいです(*^^*)
私にしては更新ペースが上がってるけど、怠っているのも事実だなと思うこの頃。
発信したいことはたくさんあるのに上手く整理が出来ていないもどかしさを感じています。
そして、タイトルにあるように「健康じゃないと何もかも上手くいかない」という状況を長年感じてきて、ようやく比較的健康なんじゃないかと思えるようになった31歳の夏…(どうでも良いわw)
夫婦関係のことも含めて、人生上手くいかないなぁ~という方に警鐘を鳴らす記事を書きたいと思います。
健康ってなに?
「健康」という言葉でまず思い浮かぶのは「病気ではない」状態だと思う人も多いかと思います。
でも、なんだか身体の調子が良くないけど、病名は付けられていないという人は「健康」と言えるでしょうか。
病名は付けられていないだけで本当は何かしらの病気かもしれないし、調子が良くないと思っている時点で「健康ではない」と位置付けても良いと私は考えます。
世間的にも私の中でもブームになってきている「東洋医学、中医学」的には「未病」という言葉があります。
未病とは、健康から病気に向かっている状態をいいます。
日本未病学会の定義では、
①検査値に異常はないが、自覚症状がある場合
②自覚症状はないが、検査値に異常がある場合
どちらも未病とされています。
株式会社キリン堂(https://www.kirindo.co.jp/business/mibyou/index.shtml)
まだ病気にはなっていないけど、このままだと病気になってしまうという状態のことを「未病」と言うそうです。
自覚症状があって病院に行っても、検査数値的に問題ないから気のせいだと診断されたり、精神的なものが問題なんじゃないかと心療内科を勧められたことがある人もいると思います。(実際、私がそうでした)
なんだか調子が良くないなという状況が数週間続くならば、「健康と言えない」と私は考えます。
健康な人は、活発に動けて生きるのを楽しく思えるし、感情のコントロールも上手く出来ると思います。
私の不健康自慢
「未病」というものを知らない間、私の不調は原因不明だと思ったり、生まれ持った体質だから仕方のないことなんだと考えていました。
私が抱えていた不調は以下の通りです。
- 頭痛
- 胃痛、腹痛、消化不良、下痢
- 眼精疲労
- 肩こり、背中の痛み
- 生理不順
- 疲れやすい、重だるい
- 睡眠の質が悪い
- 気分が落ち込みやすい など
大体このような体調不良が日々あって、調子が良いと思える日は皆無でした。
それでも学校に行かなければいけない、仕事に行かなければいけないと無理をし続けた結果、「未病」から本当の病気になったものもあります。
現在は通院、生活習慣の改善で良くなってきていますが、不調のどん底と言える時は休みの日に起き上がれないというのが当たり前でした。
不健康な状態が生み出したもの
不健康な生活を続けると心も身体もダメージを受けます。
まず身体から言うと、消化器系がダメージを受けていつも気持ちが悪く下痢を繰り返していました。
他にも生理不順は年々酷くなっていきました。
身体が重だるく、いつもどこかしらが痛かったです。
心の面で言うと、何をしても楽しいと思えなくなっていきました。
好きなことすら疲れるからやれない、休みたいと考えるようになっていき、一緒に住む夫に対しても優しく接することが難しくなっていきました。
心の不調をみると鬱だったんじゃないかと思われますよね。
心療内科にかかった方が良いかとも考えていましたが、冷静に客観的にまだ自分をみれる状態で、
「心療内科に行ったら鬱と診断されて、薬処方されるだろうな」と考えていました。
ちなみに仕事で関わりのある心療内科の先生には、鬱患者に言ってはいけない言葉にあげられる
「もう少し頑張ってみよう」と声をかけられたので、絶対にこの病院で診察はしてもらわないと思いました。(診察を受けた際の話です)
ただ、「もう少し頑張ってみよう」と言われてやっぱりこの職場で頑張るのはやめようと思えるきっかけになったのでそれは良かったと思っています。
賛否両論なので反対意見もあると思いますが、精神系の薬を私は出来るだけ飲みたくありませんでした。
精神系の薬も安心して飲めると言う人もいますが、依存してしまっている人もいるし、それが根本的解決にはならないということを知っていたので、そこまでして生きるくらいなら人生やめるか根本的解決をして幸せに暮らしたいと思っていました。(極端な人間ですみません。人生はやめてはいけません)
人間としての理性は残っていたので、私は根本的解決をして幸せに生きる道を選びました。
結局、頑張りすぎて不健康になって生み出したのは生きている意味を見失った廃人であり、それに振り回される周囲の人間という誰も幸せにならない環境でした。
不健康でいることは自傷行為と同じ
自傷行為なんて言いすぎと感じられる人も多いでしょう。
私も以前はそう思っていました。
しかし、不健康の状態を続けていた時は精神的にも参っていました。
身体の不調から精神が病んだのか、病んでいるから身体に不調をきたしたのかはわかりません。
でも、通常不健康であることを続けたいと思わないのが本能だと思います。
そんな中、不健康を続けるしかない状況になってしまっているから不健康でいることに落ち着くんだと考えます。
例えば、肝臓を悪くしているのにお酒がやめられないというのは依存症的なものかストレスなどの発散の拠り所にしているからでしょう。
自分自身の身体を思えば、やめるか減らすのが正しいはずなのにやめられないのは心の問題であることが多いです。
「別に長生きしたいと思っていない」
長生きしたいと思っていないというのは別に良いですが、病気になったら苦しいことも多くなります。
それでも良いのかと私は思います。
「私が死んでも悲しむ人はいないから」
本当にそうでしょうか。
関わったことのある人がいなくなるのは悲しいと思いますよ。
(生涯孤独で誰とも関わりのないという方もいるかもしれませんが)
少し話がそれましたが、不健康な状態を続けてしまうというのは人間として心のどこかに問題が生じているということだと考えます。
仕事、家庭、経済的なストレスなど様々な要因があるでしょう。
だから、不健康な状態を続けているのは自傷行為と同じことだと思います。
お酒、お菓子を飲んで食べるのが悪だとは思いません。
何ごとも適度にすれば良いのです。
一人で出来ないことなら専門機関を頼るのも良いと思います。
まずは、不健康な生活を続けてしまう要因の排除もしくは軽減をすることが大切です。
自分を大切に出来ない人間が他人を大切には出来ない
「おいおい、自分は不健康だけど家族を大切にしている」
という声が聞こえてきそうですね。
そう思っている人はそう思っていても良いです。
でも、我慢している無理していることって相手に伝わってしまうものです。
特に長い時間一緒にいる相手ならば、感じ取ってしまいます。
子どもの立場で話をします。
親が我慢して子どもを優先してくれることを「愛」だと思えるのは、まだまだ小さな子どもだけだと思います。
ある程度の年齢になれば親が無理していることに気付きます。
気付いてもそれが何かがわからなくて不安定になる子どももいます。
勘の良い子ども且つ良い家庭なら親に気付きを与えてくれるでしょう。
しかし、大抵の家庭ではそうはいかない世の中になってきているかもしれません。
はっきり言って「あなたのために」という我慢や無理は恩着せがましいです。
誰が私のために我慢して自己犠牲的に生きて欲しいと言った?それが美学だと思っていいのは昭和までじゃない?と思います。
「ありがた迷惑、恩着せがましい」
という日本語があるように相手のためを思ってした行動も相手にとっては迷惑になってしまうこともあります。
親が子どものために行動するのは当たり前なことだと思います。
それでも親だって自分の人生を生きて良いんです。
これは夫婦間においても言えます。
「あなたのために」と思ってしている行動が相手の重荷になってしまっているかもしれません。
最後に
長くなってしまいましたが、不健康でいることは心の問題に繋がります。
まずはそこに気付いて、何故この不健康な状態を続けてしまうのか考えてみてください。
そして、その要因を排除もしくは減らせるようにすると良いと思います。
心と身体どちらとも不健康な状態でいると大切な人を傷つけてしまいます。
我慢や無理をしても傷つけるし、不健康な状態がつらくて当たったとしてももちろん傷つけます。
誰も幸せにならないと思います。
取り掛かりやすい方(心と身体)から健康的な生活を送れるように環境や生活を変えていってみてくださいね。
それでは、また(*^^*)