「死」を通して「生」を学ぶ~呪いを解く~

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どうも、ひつじかいです(*^^*)

「死」について考えたことはありますか?

自分の死、大切な人の死、ペットの死…

「死」に対峙したときの経験について記事にしていきたいと思います。

初めての身近な人の死

私が初めて身近な人の「死」を体験したのは小学校5年生のときのことです。

入退院を繰り返していた父は、退院してしばらくしてから急逝しました。

死因は、心筋梗塞ではないかとのことです。

事件性がないと司法解剖するかどうかは遺族が決めることになります。

私の母は、解剖して死因を突き止めることを望みませんでした。

当時のことは今も鮮明に覚えています。

子ども時代の記憶があまりない中、あの日の前後だけは今も思い出せるほどの衝撃でした。

簡単に父が亡くなった日からの数日間をまとめます。

あの日のこと

夏休み最終日の朝。

電話の音が鳴り響いた。

こんな朝早くに電話がかかってくることなんてない。

嫌な予感がして心臓がドクドクと早くなっていった。

母が寝室から飛び出して、私の部屋に入ってきた。

「パパが死んだって」

そう言って、母はすぐに出かける準備をした。

父は前日から夜釣りに行くと遠い地へ泊っていた。

遺体を引き取りに行くために母は急いで準備をして車に乗り込んだ。

私と姉が家に取り残された。

母の妹夫婦とその旦那さん方の祖父母が一緒に来てくれた。

私はずっと泣いていた。

姉に気づかれないようにトイレで泣いていたのに姉は気づいていたそうだ。

姉は私が泣いているから涙を見せないよう気丈に振舞っていた。

昼頃になり、父の遺体が家に運び入れられた。

〔昨日まで生きていたのに、本当に死んでしまったのか〕

まだ「死」をはっきりと受け入れられなかった。

ー中略ー

目まぐるしい早さで葬儀まで終えて、母と姉と3人だけとなった。

母も涙を見せることはなかった。

遺品は早く処分しないといけないと母は、すぐに父の服などの持ち物を処分した。

父の匂いがついたまくらも全て。

私は悲しかった。

父の存在が全くといって残らないから。

こんなにも生きた痕跡を消せるのかと…

〔人はあっけなく死んでいくのだな。私も同じように。〕

父の「死」が私にもたらしたこと

父の死は私の心の闇を深くしました。

難しい年ごろだったというのもあるかもしれません。

父が亡くなる前、登校中見ず知らずの男に乱暴されかけました。

その時に私は死ぬかもしれないという考えが浮かび、自分が汚されたことへの嫌悪から「死にたい」という感情が沸々と湧き上がっていました。

こんな出来事の直後に父が亡くなったので、私の「死」へのハードルはものすごく低くなりました。

出血しても痛いと思わないし、ニュースで犠牲となった人がいたとみれば「私だったら良かったのに…」と考え、人に迷惑のかからない方法を常に考えていました。

テレビをみても笑えない。誰かといても何も楽しくない。

私の感情機能が壊れていることに数年間気づけませんでした。

当時の私を知っている人で、私の異変に気づいた人はいるのだろうか。

恐らく誰も気づいてはくれないし、気にかけてもくれなかった。

心の闇は大きくなって、身体の自傷行為だけではなく自分自身の心を壊す内側の自傷行為へとどんどん変わっていきました。

身体の自傷行為

リストカット、頭を壁などにぶつける、火傷、拒食過食、過剰なピアスやタトゥーなど

心を壊す内側の自傷行為とは

自分を大切にしないこと。自分の心の声に蓋をして、自分が傷つくであろうことやつらい状況に自分自身を自ら追いやること。

本当は生きたいし笑いたい

「死にたい」と思っているのは、本当なのだろうかと考えたときに「本当は生きたいし笑いたい」のだと気づきました。

「死にたい=逃げたい」なのだと聞いたことがある人もいるかもしれません。

まさに、私も逃げたい、そして生きたいのだと理解できるようになりました。

恥ずかしながら、前向きに生きたいと思えるようになったのはここ数年の話です。

では、なぜ生きたいと思えるようになったのかというと理由はいくつかあります。

「私の人生はなぜこんなにも上手くいかないのだろう」

「幸せだと思えることがあっても長続きはしない」

「人生山あり谷あり。またつらいことが起きるんだろうな」

日常的に起きるかわからない不安や恐怖心を抱いていました。

私が今まで生きてきて、一番幸せだと思えることは夫と出会って結婚したことです。

そんな幸せだったはずの結婚生活が壊れそうになりました。

離婚危機については、過去の記事をご覧ください。

夫から「離婚したい」と告げられた時、

「あぁ、もう終わった。私の人生は本当に上手くいかないんだ。幸せにはなれない人間なんだ」

と自分自身の人生を全否定しました。

「こんな私は生きていても仕方がない」

「いや、私を受け入れてくれない夫が悪い」

「離婚した方が夫のためになるよね…」

私の思考はコロコロと変わりました。

そして、

「幸せになりたい。笑いたい。ちゃんと生きたい。」

と強く思うようになりました。

私は何か嫌なことがあれば、いつも心の中で「死にたい」と思っていました。

買い忘れたものがあった→死にたい

足の小指をぶつけた。痛い。→死にたい

仕事でミスをした→死にたい

「そんなことで死にたいなんて…」

そう思う人が多数でしょう。

私の「死」へのハードルは子どものときから下がっていて、何かきっかけさえあればいつでも死ねると思っていました。

「死にたい」のではなく今の状況から「逃げたい」でした。

だから、不幸で呪われた私の人生から逃げることにしました。

呪いを解く

「幸せにはなれない人間なんだ」

私はずっと自分に呪いをかけ続けていました。

「特技:呪い」というほど自分自身への呪いの効力は高いです(´;ω;`)

自分で自分にかける呪いは他人からかけられるよりも強く効くと思います。

では、私が考える「呪い」の解き方をご紹介します。

紙とペンと出来れば付箋をご準備ください。

呪いの解き方
  • 両親、祖父母などの身近な血縁者や幼い頃に密接に関わっていた人をリストアップする(付箋1枚に1人の名前を書く)
  • 影響力が高い人順に並び替える(良いも悪いも含めて)
  • 影響力が低い人から順番に、してもらって良かったこと嫌だったことを書く(書くことがないなら特になしでもOK)

上記の通り書き出しが出来たら、その相手がなぜそのような言動をしたのかについて相手の立場になって考えます。

相手の立場に立つと、自分の目線とは違う真実が浮かび上がってくることがあります。

受け入れられる、許せると思うなら、受け入れましょう。

感情のまま泣きたくなったら、しばらく落ち着くまで泣いても良いです。

怒りたくなったら、紙に思いの丈を書き記しても良いです。(そしてその怒りを記した紙は捨て去りましょう)

してもらって良かったことや嬉しかったことは、心が温かくなるくらいその時の気持ちを噛み締めましょう。

そして、私は大切にされている、愛されていると思えれば少しずつ呪いが解けてくるでしょう。

もし、許せない、自分は誰にも大切にされていなかった、愛されていなかったと思うのであれば、あなたには協力してくれる相手が必要です。

信頼出来るカウンセラーを見つけることを心より願います。

逃げられることからは逃げる

私は、職場を退職しました。

不幸代表みたいな思考だったときに入職した職場は、私を苦しめるだけの場所にしかならないと実感したからです。

関わりたくない人とは距離を置くことにしました。

昔からの関わりだとか、親戚だからとか、家族だからとか色々な理由があって無下に出来ない相手もいます。

それでも、何回かに1回は断る。嫌なら会わないようにしています。

夫が扶養に入れてくれているから退職しても何とかやっていけてるのだろうと思われるかもしれません。

確かにそうです。

夫が仕事を辞めたらどうするのか…

当面は、貯金、退職金、失業手当などをあてにしながらパートを続けるでしょう。

そのあとのことは考えても無駄なので考えません。

起こるかもわからないことは考えても意味がないからです。

その時になったら考えることにします。

夫に仕事を辞めたいと言われたら

「辞めたいなら、辞めても良いと思う。相談してくれてありがとう」

と伝えたいです。

道はいくらでもあります。

心も身体も回復してきている私ならきっとどこかで働けるだろうし、夫なら今の仕事以外の場でも活躍出来ると信じています。

「あなたがあなたを信じてあげてください」

「死」が与えてくれるもの

父が亡くなる前から、私は「死にたい」と考えることがありました。

しかし、父が亡くなり「死」を身近に感じてから、「死にたいけど死ねない」と考えるようになりました。

母や姉のことを思うと、私の思いだけでは死ねない。自分のためだけに生きているのではないと思うようになりました。

「死を通して生を見るー私の生き方」という題で、大学時代にレポート提出をしました。

授業の感想として、書いていた一文をご紹介させてください。

「死を通して生を見るー私の生き方」

大切な人たちの死を通して日々後悔がないように生きていこうと考えた。
「大切な人とは頻繁に連絡をとり、会えるならば会い、言えるときに感謝の気持ちを伝え、そして喧嘩をしてもすぐに仲直りをする。」
このようなことを意識して今の私は生きている。これからも後悔しないようにやりたいことは出来るだけすぐにして、周りの人を大切にしたい。
 死ぬ間際に自分の生き方に誇りが持てるように、周りの人に
「良い人だったね。あんな生き方が出来たらいいね。」
と思ってもらえるように生きたい。
 このように思えるようになったのは「人の死」を間近で見ることが出来たからで、もし父や恩師の死がなかったら私はただなんとなく人を傷つけてもなんとも思わないような人になっていたかもしれないので、あまりしたくはない経験だがあって良かったのかもしれない。
 「死」が私の生き方に影響したのが事実であることに間違いはない。私はこれからも「死」を意識して人生に悔いのないように生きていこうと思う。

大学時代の文章は今よりも拙くて読みづらいですが、前向きに生きようとしていたのだなと思い返すことが出来ました。

「死」へのハードルが下がった分、常に「死」を意識して悔いのないように生きようと思うようになりました。

父は糖尿病を患っていたので、私も気を付けようと思うし、恩師を亡くしたときの悔しさや悲しみを胸に人を救えるようになりたいとも思います。

「亡くなった人の分まで生きる」

そんな力量は私にはありませんが、亡くなった人の志や気持ちを忘れないで生きたいです。

遠い遠い祖先たちも色々な思いをして生きて、死んでいったのだろう。私たちはその祖先たちがいたから生を受けてこの時代に生きている。

生きている意味なんてなくても生まれたのは事実なんだから、とにかく生きてみようかなくらいの気持ちでも良いと思います。

自分が生きている意味を見出せないのなら、意味なんてなくても「ただ生きてみる」

それだけで良いのです。

生きている意味なんて考えても結論なんて出ないのだから。

最後に

今回の記事は書きたいことがありすぎて、長くなってしまいました。

「死」が与えてくれることはあります。

でも、自分で自分の生を終わらせるには、一度思いとどまって欲しいです。

死んでしまったら、後悔して生き返ることは出来ません。

死んでしまった方が良いと思っている場合でもただ生きてみたら、

「生きてて良かった」と思えるかもしれません。

私にあなたの「生と死」を選ぶ権利はありませんが、ただ生きてみてください。

あなたと私の未来が明るいものとなりますように。

それでは、またお会いしましょう。

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