どうも、ひつじかいです(*^^*)
普段は夫婦関係修復(再構築)への道のりや体質改善等についての記事を多く書いていますが、今回は最近あった出来事について記事にします。
最近の出来事で今後の生き方について考えさせられることがあったので、私自身の整理のためと同じようなことがある方の参考に少しでもなればと思っています。
以前の職場に勤めている人に偶然会う
現在パートで働いている職場の前に働いていた職場の人たちに色々な場所で偶然会うということが何度も続いていました。
買い物先だったり、車ですれ違ったり、私の職場に来たり…
(私はパートなので、働く日数も時間も少ないのに会ってしまう…)
今までこんなに立て続けに以前の職場の人たちに会うなんてことはありませんでした。
それなのに、ここ1ヶ月異常なほど色んな人たちに偶然会いました。
「なぜ、こんなにも以前の職場の人たちと出会ってしまうのだろう…」
考えてみるといくつか要因があることに気づきました。
①以前の職場が経営悪化によりあまりよろしくない状況で、私が良い時期に辞めたと思われている(戻ってこないかな~とも思われている)
②私自身、以前の職場が窮地の状況なのに辞めて申し訳ないという罪悪感がある
③以前の職場で苦手なことや苦手な人から結果的に逃げてしまっていたから過去や弱点と向き合う必要がある
なんとなくですが、上記3つのようなことから無意識のうちに以前の職場の人に会ってしまう状況を作り出していたのではないかと思います。
③番目の過去や弱点と向き合う必要があるというのは、最近今の職場でも感じていました。
苦手なお客様への対応が上手くいかないことや八方美人な性格のため、苦手な人に好かれてつけ込まれてしまいやすいなと感じていました。
「あぁ…私は今のままではこれからの人生楽しく生きられないのかもしれないな…」
と少し気持ちが落ち込んでいました。
「今までは逃げるだけだったこととちゃんと向き合おう」
そう思うことで少しずつ前向きになれました。
以前一緒に働いていたお茶のみ友だちとそろそろラスボスに会うんじゃないかという話もしました。
ラスボスとは、以前の職場にいる苦手な屁理屈上司のことです。
私は論理的な話し方をする人は好きですが、大して論理的ではないのに論理的だと思って話す人は好きではありません。
屁理屈で自分大好きおじさんは苦手ということです。
でも、このようなおじさんから逃れようとしても、別な種類の嫌な相手に出会ってしまうことがあります
そのようなときに、舐められない人間になりたいと考えるようになりました。
ラスボス…なんて話を冗談でしていましたが、最近続いていた偶然の遭遇はこのことへの伏線だったの?という出来事が起きて、実は今晴れやかな気持ちになっています。
親戚の突然の訃報
私の母の母(おばあちゃん)の妹が亡くなったと連絡がありました。
ほとんどの人は、おばあちゃんの妹との関係は薄いかもしれません。
母方のおばあちゃんは、母が小学校低学年の時に亡くなっていて、おばあちゃんの妹が母の母親代わりであり、私にとってもおばあちゃんのような存在でした。
ちなみに母方のおじいちゃんも私が生まれる前に亡くなっているので、血の繋がりもないおばあちゃんの妹の旦那さんがおじいちゃん代わりです。
父方のおじいちゃんも早くに亡くなっていて、おばあちゃんは意地の悪い人だったので、私の父が亡くなってからは疎遠になりました。
だからこそ、おばあちゃん、おじいちゃんと思えるのは母方のおばあちゃんの妹夫婦(以下おばちゃん、おじちゃん)だけだと思っています。
それなのに、色んなことがあっておばちゃんたちとも全く連絡を取ったり、会ったりすることがなくなってしまっていました。
生きているのかもわからない状況でしたが、おばちゃんが亡くなったと母におじちゃんから電話があったそうです。
「おばちゃんの親族は、○○たち(母と姉と私と母の兄妹)しかいないから来てほしい」
と言われたそうです。
実は、本当に色んなことがあって親族との縁はほとんど切ってしまっていたので、母の妹家族とも全然連絡は取っていませんでした。
かろうじて母の妹家族の連絡先は知っていたので、連絡して一緒におばちゃんのお通夜に行くことが出来ました。
母の兄は連絡先が変わっていて、連絡が取れませんでした。
私たち家族は、通夜~葬儀後の会食まで出ることにしました。
長らく会っていなかった人たちに会えて近況を知ることが出来たり、おばちゃんの最期がどうだったのかなども聞くことが出来たので、行って良かったなと思います。
おばちゃんは、とにかくお酒が好きで大勢で集まることが好きでした。
カラオケも好きで、よくスナックに連れていかれたし、私と姉を可愛がってくれていて、色んなところに連れて行ってくれたり、色んなものを買ってくれたりと本当のおばあちゃんのように接してくれていました。
おばちゃんが与えてくれたもの
今回、おばちゃんが亡くなったという連絡がなければ、疎遠になっていた親類に会うことが出来ませんでした。
母の妹家族とはとても仲が良く、いとこともよく遊んでいたのにいつからか連絡も取らなくなってしまい、母と母の妹はギクシャクしていました。
原因は母にあって、色々なことがあって母は妹を避けており、母の妹から母に会いたいと連絡をもらったこともあります。
母に母の妹が会いたがっていることを伝えても会いたがらなかったので、正直私は困っていました。
いつかは、このわだかまりが消えると良いな…とずっと心に引っかかっていました。
おばちゃんが亡くなったことは、悲しいことだし、生きているうちに会って私も姉も結婚したこととか今どんな仕事についているのかとか話したかったなと思います。
でも、おばちゃんの死によって疎遠になってしまっていた親類と再会し、わだかまりも少しは解けたと思うとおばちゃんは死をもって私たちを引き合わせてくれたのかなとさえ感じます。
ちなみに、おばちゃんが亡くなった日は、おばちゃんの誕生日でもあります。(姉の結婚記念日でもある)
そして、私の父の命日ともとても近いんですよね。
何にでも理由付けしようと思えば出来ますが、何かしらの因果関係があるのではないかと考えてしまいます。
おばちゃんは兄妹が多いのですが、兄妹仲があまりよくありませんでした。
もしかしたら、私の母と母の妹には仲良くして欲しいと強く思ってくれていたんじゃないかなと思います。
おかげで、母と母の妹はLINEで繋がることも出来たし、今度ご飯でも一緒に食べようという流れになりました。
私もいとこたちと連絡を取ることが出来て、本当に良かったなと思います。
死というのはつらく悲しい場合がほとんどです。
それでも大切な人の死から学ぶことは多いですし、人間はその悲しみを乗り越える力を持っていると思います。
私にとっておばちゃんの亡くなり方は、おばちゃんらしいなと感じました。
病状が悪化していることを家族に言わないところや家族みんなに看取られて亡くなっていったこと、誕生日に亡くなるところ全部がおばちゃんらしいです。
ただただ「ありがとう。会いに来れなくてごめんね」という気持ちしか浮かびませんでした。
そして、私たちに親類と会うきっかけを作ってくれたのもおばちゃんです。
おばちゃんは自由奔放なところがあるし、はっきりとした物言いだし、少しだけ苦手に思っていましたがたくさんのものを与えてもらったんだなと思います。
本当にありがとう。
父が亡くなった時もたくさん支えてもらったな。
心から感謝します。
過去の清算
冒頭にも触れていますが、私は過去や弱点と向き合う必要があるのではないかと感じていました。
何故、過去や弱点と向き合わなければいけないと感じたかというと以下の通りです。
①幼少時代のトラウマが消えなくて男性が怖いという気持ちを今も多少引きずっている
②好かれたくないのに変わった人から好かれるのは過去に傷ついたと思っている事柄が整理できていなくて引き起こされている
③愛されていた自信がないため、自尊心があまりない
④逃げ癖がついてしまっていてこの先もつらいことがあると乗り越えられなくなってしまうのではないかと心配
夫婦関係修復(再構築)のためにコーチングを受けて、少しずつ人生が良い方に向かって、以前の私とは思考が変わったと思うところが多くあります。
それでも、完璧に過去の清算が出来たわけではないので、壁にぶち当たってしまうことがありました。
上手くいかないときは、このままではいけない、一歩二歩先に進まなければいけない時だと考えています。
~しなければいけないという考え方は自分を苦しめてしまうので、あまり使いたくはないのですが、進むためにはしなければいけないことというのがあるのだと私は思います。
まだまだ弱い部分があるならそれを受け入れて進むしかないのだから、今は進まなければいけない時期なんだと自分を奮起させていました。
どうやって私は過去と向き合って、清算するんだろう…?
と考えていたら、おばちゃんが亡くなって親類との関係悪化に関しては、何もせずに解決しました。
男性不信に陥る原因となったのには、おばちゃん家族にもあります。
おばちゃんの旦那さん(おじちゃん)は、異常なまでに私を溺愛していました。
先日会った時も私は小さい時のままのイメージで止まってしまっている様子でした。
可愛いからとべったりで、色々連れていかれてしつこいなと思っていました。
おばちゃんの息子には、しょっちゅう泣かされていました。
本人は可愛くてかまっていたと言いますが、私からしたらいじめられていたとしか思えないようなことばかりされていました。
おばちゃんたちは、私と姉を可愛いと思ってくれていたのでしょうが、みんな愛し方が下手くそで、その愛情は全く私には伝わっていませんでした。
子どもの頃は、そんな下手くそな愛情表現を受け入れるなんて出来ないですし、なんならトラウマでしかないことですが、今となって本当に可愛がられていたんだなというのは理解しました。
おじちゃんやおばちゃんの息子から本当に可愛かったと聞いて、表現が下手なだけでものすごく愛されてたんだなと気づきました。
子どものころに嫌だったことは肯定しませんし、私なら絶対に愛情を持っている相手にひどいことをしませんが、愛されていたという事実を実感できたというのが、私にとって実りがありました。
過去の清算を自分自身では何もしてないけどみるみる解決していてちょっと拍子抜けです。
私は自分は愛されない人間なんだと自尊心が低いため考えていました。
人の評価を気にしすぎて、八方美人になってしまっているのも良くないと思っています。
人に嫌われるのが怖いから八方美人になって、好かれたくもない人からも好かれてしまうというのも自分自身が招いた結果です。
逃げるのは簡単だけど、逃げなくても良い方法を探したい考えました。
まず、八方美人をやめよう。
言いたいことは、早めに言おう。
後から考えて言ってしまうと重たいので、軽く言えるようになりたい。
誰にでも笑顔で優しく接することをやめよう。
舐められやすいから少しは強く言えるようになりたい。
感情の揺れを少なくしたい。
出来るだけ平坦に感情を保ちたい。
まだまだ過去に囚われてしまっている部分もありますが、今回のおばちゃんの死がきっかけになってまた前に進むことが出来そうです。
人間関係の整理
子どもの頃は、自分と合わないと思う人とは付き合いをやめて切っていっていました。
これは、HSPの特徴でもあるのかもしれません。
人間関係をリセットしないと心を保てなかったのだと考えます。
小学校の頃の友だちで今も連絡を取り合うのは一人しかいないですし、中学校の頃の友だちも少ないです。
高校時代の友だちも同じように少なく、大学時代の友だちは全くと言って良いほどいません。
環境が変わるたびに自分の人間関係の整理をして今まで生きてきました。
環境によって付き合う人が変わるのは当たり前のことだし、不必要な人間関係は整理した方が良いと思っています。
でも、ただただ逃げてしまった関係もあるので、私は学ばなければいけない時が来ていると感じています。
そして、これからはリセットしなくても良い人間関係を築く必要があるのかもしれないと思います。
今後生きていくためには、苦手だと思っていた人との関わり方を考えなければいけないし、そういう苦手な相手からこそ学び取ることがあるのかもしれません。
私が生きづらいと思っていることが苦手な人から学び得られるとか、苦手な相手をただ苦手だからと関わらないのではなく理解して色々な考えを持つ人がこの世にはいるという学びをするときなんだと思います。
20年前10年前5年前と現在の自分自身を比べると節目ごとに成長していると実感します。
結婚してから成長速度が速まり、2年前1年前半年前でさえも私の思考は変わり続けています。
今、私の世界が安定してきているから新たな課題が見えてきたんでしょうね。
切ることでしか人間関係の整理を出来なかった私ですが、これからは苦手な人との関わり方や学び得られることを考えて過ごしていこうと思います。
人間関係を整理することは悪いことではないと考えるので、整理したその先について考えていきたいです。
人生において起こる出来事には何かしらの意味がある
私は人生において起こる出来事のほとんどには意味があると考えます。
こんなことを言うと頭のおかしい人だと思われるかもしれませんが、母からすると私は救世主に近い存在だったそうです。
父との関係は冷え切っていて、妊娠するような行為は全くしていなかったけど、嫌々した1回で妊娠して、流産しかけたけどなんとか生まれたのが私でした。
聖なる日に生まれたことや父が付けた名前には、重いくらいの想いが詰まっていると思います。
父方の家族も母方の家族も幸せな家庭を築けていません。
先祖代々幸せになりたかったのに思うような幸せを得ることが出来なかったと思います。
この先祖代々続いてきた負の連鎖を断ち切るために私は生まれたのかなと考えてしまいます。
子どもの頃から経験しなくても良いようなつらい出来事を経験して、ようやく掴んだと思った結婚という幸せもたったの2年くらいで崩れるというのも因果関係があるようにしか思えません。
そして、夫との関係を立て直せたのも私の力だけではなく、夫や夫の家族、私の先祖たちのおかげだと思います。
夫婦関係が悪化して、家系についてコーチングを受けました。
家系について調べていくと、つらく悲しい思いをした先祖ばかりで誰も恨む気にはなりませんでした。
父は自由奔放なため母を悲しませていたので、許せないと思っていましたが、そんな父も悲しい思いや寂しさを抱えていたんだろうなと。
父方のおばあちゃんも意地悪なおばあちゃんだと思っていましたが、そうなってしまうような環境下にいたんだなと思うとちゃんとお墓に手を合わせないといけないなと思わされます。
相手のことを知らずして、嫌いになるのは良くないと思いました。
特に家族間においては、ほとんどがすれ違いや勘違いで関係悪化すると思います。
しっかりと話すことが大事なんだと学びました。
誰しも言わなければわからないことばかりです。
感情には種類がたくさんありますので、どんな感情を抱いているのか認識して相手に伝えることが大切です。
夫が帰ってくるのが遅い→心配→なんで連絡よこさないの?→怒り
この怒りの部分だけを伝えては、相手を恐怖で支配することになります。
怒りの根底には心配があるので、まず心配ということを伝えるというように、自分の感情を細分化する必要があります。
このようなことを自分の中に落とし込むのは難しかったと思います。
なぜならば、自分の父親が感情的になり、恐怖で支配するような人間だったからです。
私は感情の出し方があまりわからないで大人になってしまいました。
普段は感情に蓋をしていますが、心を開いている相手(夫)には感情をぶつけてしまうことが多くありました。
嫌だったはずの父親のような態度を無意識にとってしまっていたんですよね。
だからこそ、家系についての学びは私にとって効果的でした。
私の悪いところは先祖から受け継いでしまったものが多いし、良い部分もそうだったからです。
家系について学ぶと自分も許せるようになりますし、自分の嫌な部分を受け入れるようになってから嫌な部分が表出することがほとんどなくなりました。
私は、これから先祖代々出来なかったことを実現させていくことになると思います。
本当の意味で幸せな家庭を築くということが私の課題です。
大きな課題を乗り越えるために節目節目でクリアしなければいけない出来事が起きているのだなと今回再認識させられました。
最後に
今回は、最近の出来事から感じ取ったことなどについて記事にしました。
ちょっと長くなってしまったのと、まとまりがない文章で申し訳ありません。
忘れないようにこれは記事にしたいなと思い、あまり構成を気にせずに書いてしまいました。
久しぶりにこんなに考えさせられる出来事があったので、どうしても忘れたくなかったのといつも私のブログを読んでくださる皆さんの参考になることがあればと思っています。
家族や先祖の思考の癖は、受け継ぎやすいと思います。
これは無意識的で、潜在意識に強く根付いていることが多いです。
過去の清算は、家系を遡るところまでして一通り完了すると思います。
この記事を最後まで読んでくださってありがとうございます。
良ければ、自分との向き合いの中に親や先祖を知るということも入れてみてください。
何かしらの発見があると思います。
それではまた(*^^*)