許す(赦す)ということ~人間関係、家族・夫婦関係の悩みを断つ~

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どうも、ひつじかいです(*^^*)

普段は夫婦関係修復や体質改善などについての記事が多いですが、今回は「容赦なく人を叩く今の日本の風潮」から「許す(赦す)こと」の大切さについて書いていきます。

子どもの頃から生きづらさを感じていた私は、何が原因で生きづらいかに気付くことなく大人になってしまいまいた。

生きづらさの原因は、一つではありませんがその中の一つが「許す(赦す)ことが出来ない」ということです。

最近騒がれているニュースなどを交えながら私なりに考察します。

これから書く内容は、生きづらさを感じている方や家族、夫婦関係に悩んでいる方などたくさんの方に読んで頂きたいと思います。

許す(許す)とは

①  罪や過失を、とがめだてしないことにする。また、服役中の人を放免する。 《許・赦》 「今度だけは-・してやる」 「子供をだますなんて絶対に-・せない」
②  願い・申し出などをききいれて、願いどおりにさせる。認める。許可する。 《許・聴》 「大学へ行きたかったのだが、父が-・さなかった」 「医者から一時帰宅を-・された」
③  ある行為を、さしつかえないと認める。 《許》 「屋敷への出入りを-・される」
④  義務や負担を免除する。 《許・赦》 「税を-・す」
⑤  相手のはたらきかけに対し、思いどおりにさせる。 《許》 「敵の侵入を-・す」 「肌を-・す」
⑥  他に対する警戒心をゆるめる。 《許》 「気を-・す」 「心を-・す」
⑦  その人をとりまく状況が、ある事を可能にする。 《許》 「時間が-・すならもう少し述べたいことがある」 「予算が-・せばもっと広い家を買いたかった」 「延期は状況が-・さない」
⑧  すぐれた存在であると認める。 《許》 「第一人者として自他ともに-・す」
⑨  ある水準に達したと認める。 《許・赦》 「免許皆伝を-・す」
⑩  強く締めたり、引いたりしたものをゆるめる。 「猫の綱-・しつれば/源氏 若菜上」
⑪  手放す。自由にする。 「夕狩に千鳥踏み立て追ふごとに-・すことなく/万葉集 4011」

weblio辞書( https://www.weblio.jp/content/%E8%A8%B1%E3%81%99 )より

weblio辞書における「許す(赦す)」とは、上記の通りです。(以下、許すに統一する)

「許す」という言葉一つでも様々な意味合いを持っています。

今回は人間関係や家族・夫婦関係に必要な「許す」という考え方について書いていきたいので、下記3つの意味を読み解きます。

①罪や過失を、とがめだてしないことにする。

⑥他に対する警戒心をゆるめる。

⑪手放す。自由にする。

人間関係、家族・夫婦関係における「許し」

あなたは、人間として優れ、全うに生きていますか?

清廉潔白だと胸を張って言えますか?

私は、自分が完璧だとは思えないし、一度も罪を犯したことはないとは言えないです。

周りから見れば、真面目で誠実だと思われることの方が多いですが、不真面目なところもあるし、だらしないところもあります。

そのくらいのことを罪だと言ったら、全ての人が罪人になってしまいますね。

夫(妻)が冷たいとか他の異性を見ていたとか・・・

友だちに嫌なことを言われたとか自分の意見に賛同してくれなかったとか・・・

上司に叱責されたとか部下がミスをしたとか・・・

きっと傍から見れば、大したことではないのに「許せない!」と思ってしまうこともあると思います。

(もちろん、時には許さなくて良いこともあるし、話し合って解決しなければいけないこともあります)

~してくれない

〜された

〜と言われた

「許せない」と思ってしまうことは、普段の生活においてあると思います。

常日頃から一緒に過ごすことの多い相手と良好な関係を結ぶには「許す」こと「受け入れる」ことが大事だと考えます。

例えば、何の連絡もなく夫が深夜に帰ってきたとします。

夕飯を準備していたら「なんで連絡くれないの?夕飯がもったいない!」

ただ待っていたとしても「なんで連絡くれないの?心配するでしょ?」

と怒りたくなることがあります。

以前の私は、感情に任せて相手のことを考えず怒っていました。

夫の立場に立ってみましょう。

どうしても終わらせなければいけない仕事があったかもしれない。

職場の人に誘われて断れず飲みに行ったのかもしれない

仕事などのストレスで息抜きをしていたのかもしれない。

きっと何かしらの理由はあるはずです。

「連絡くらいできるでしょ!?」

そう思うかもしれません。

私は連絡をしない夫が一方的に悪いと責めていました。

夫は責められるほど悪いことをしたのでしょうか?

こんなことも寛容に許してくれない妻に嫌気がさして帰りたくなかったのかもしれませんよね。

帰宅恐怖(拒否)症についてはこの記事を読んでみてください。

子どもの頃、帰りが遅くて叱られたことありませんか?

叱られたときに理由を聞いてくれなかったり、いつまでも親の機嫌が直らなかったりするととてもつらい気持ちになりました。

あの時の夫は子どもの頃、私が味わったつらい気持ちだったのではないかと思います。

私は「許して欲しかったし、受け入れてほしかった」

きっと夫も私に「許して欲しかったし、受け入れて欲しかった」からこじれてしまったのだと思います。

私は自分の中の正義を振りかざしていただけで、そんなのは正義でもなんでもなく、自分を正当化したいだけの自己満足でした。

自分の正義を相手に押し付けるのではなく、お互いに譲歩して話し合うかお互いに寛容さを持つことが大切です。

もし、話し合いが出来ないような相手であれば責めるのではなく感情に訴えるか自由にしてもらって様子を見ても良いかもしれません。

少しの過失を断罪するほど私は完璧ではないので、人に厳しくするのもおかしな話でした。

警戒心は許していないのと同じ

新しい人間関係を築く時、警戒して心を開けないことがあると思います。

見知らぬ人をすぐに信用してしまうのもどうかと思いますが、いつまで経っても心を開いてくれないのは悲しいですよね。

「心を許す」と言うように警戒心を解くのも「許す」ことに繋がります。

疑いや警戒心は関係を悪化させてしまうことがあるので、親しい仲の人には「心を許す」ようにしましょう。

心を許してくれる相手には、自分も心を開こうと思わせる傾向があります。

心理学における「自己開示の返報性」は、特に新しい関係を築く時に活用すると良いです。

警戒しすぎているとより良い人間関係を築くのは難しいでしょう。

しかし、関わらない方が良い人もいます。

関わらない方が良い人は、簡単に言うと一緒にいてなんだか精気を奪われるような疲れる相手です。

関わらないほうが良い相手は早めに見極めて深い関係にならないことをおすすめします。

懐疑心は心を閉ざしてしまいます、なるべく心はオープンに。

合わない相手とは適度な距離感を。

いらないものは手放しましょう

いらないものとは、もちろん物理的な物も含まれますし、不要な人間関係や自分の偏った思考の癖のことを言います。

家の中が散らかっている方が落ち着くという人は例外ですが、不要なものだらけの中にいると精神が疲弊してしまいます。

断捨離が流行っていますが、無理に物を捨てる必要はありません。

日常生活に必要な物や好きなものは残して本当にいらないもの(溜めてしまいゴミなど)は、なるべく早めに捨てるということをすれば良いと思います。

例えば、ネットショッピングが多いので、ダンボールが溜まってしまうのですが、このスペース一杯になったらすぐ捨てると決めています。

貰い物のタオルは、すぐに掃除用にまわすか古いものと交換するというように無駄なものは持たないことを徹底しておくと片付いてきます。

(これは一例です)

物と一概に同じとは言えませんが、人間関係を精査していくのも良いと思います。

先程も書いていますが、関わらない方が良い相手もいます。

無理に合わせたり、一緒にいるだけでなんだか疲れる・・・

そのような人とはなるべく関わらないようにフェードアウトしましょう。

そんなこと言っても職場の人や家族だったら関わりを切ることが出来ないと思います。

職場の人なら、思い切って仕事を辞めることも一つの手です。

簡単に辞められないなら、関わりたくない相手を遠ざける方法を取るしかありません。

家族なら、簡単には切れませんので自分自身が変わるしかなくなります。

自分が変わることも心を開放する(手放すこと)と同じです。

出来るなら、物質的なもの人間関係、自分の偏った思考の癖これらを順番に手放すと世界が見違えるように変わると思います。

ただし、周囲の取り巻く環境は自分の心の鏡とも言います。

その人間関係が上手くいかないという問題の中に自分の人生の課題がある可能性は高いです。

あえて、逃げずに課題と向き合うことも考えてみて欲しいと思います。

聖書における「許す」とは

キリスト教系の高校、大学出身なので、クリスチャンではありませんが聖書には親しみがあります。

信仰がなくても聖書の言葉は、心に突き刺さるようなメッセージ性の高い箇所が多いです。

「許す」と言えば、聖書だと思うので私が感銘を受けた箇所をご紹介します。

もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。

聖書(日本聖書協会発行)マタイによる福音書6章14節~15節

あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。

聖書(日本聖書協会発行) コロサイの信徒への手紙3章12節~14節

極端な物言いに聞こえるかも知れませんが、私たち人間は生まれたときから罪人なんですよね。

アダムとイブ(エバ)は、禁断の木の実を食べてしまったことによって、善悪の知識を得て恥じらいを覚え…というお話が創世記の中にあります。

私たちは善悪の知識を持って、物事を判断しますが果たしてそれは本当に善で悪なのでしょうか。

誰しもが罪を犯すのだから人を裁くことは出来ないのではないだろうか。

というようなことを聖書を読むと考えさせられます。

私は大きな犯罪を犯した人を許すことは出来ないと思いますがね…

吉本興業の問題や芸能人の不倫報道

最近は、人様のプライベートを一部切り取って報道されることが多いですよね。

誰が不倫していようが私たち視聴者には関係のないことで、一般の人でも不倫をしていた或いはこれからする可能性のある人は統計的にも全体の半数を超えると言われています。

それなのにこんなに騒ぎ立てるのは、人の罪をただ責めたい野次馬精神ですよね。

私も不倫騒動で、この人最低!などと思っていました。

でも、結婚して夫婦関係が悪化してからは他人の不倫騒動なんてどうでもよくなりました。

夫婦問題に周りがとやかく言う権利はないんですよね。

視聴者に謝罪する必要もないんです。

謝らなければいけない相手は配偶者を含めた家族なので、記者会見まで開かなくても良いのになと思います。(私の個人的な意見です)

吉本興業の問題はまた別ですが、私は反社会的勢力の人たちを100%見分けられる自信がないので彼らを責めることは出来ません。

嘘をついたことや初動ミスということもありますが、バッシングされるほどのことではないのではと考えます。

色んな意見がありますが、私はそもそも反社会的勢力の方々がよろしくないだけでむしろ彼らは被害者でもあるんじゃないかと。

十分制裁を受けたんじゃないかと思います。

人を許せなくて断罪するといずれは自分にもまわってくる気がします。

因果応報とまではいきませんが、人を責め続けた人の生涯は見るに堪えないですよ。

責めるという行為に愛があったとしても、受け入れてくれる人はそういないでしょう。

受け入れてもらいたいなら、まずは受け入れることです。

受け入れることからはじめないと信頼関係を深く結ぶことは出来ません。

芸能人の話しと夫婦の間柄は違うのではないかと考えるかもしれません。

芸能人のゴシップを断罪していると「もし、自分も同じようなことがあったらこんな風に責められるのか…」という不安を植え付けます。

だからこそ、他人のことでも断罪することは夫婦関係に亀裂を生む可能性があります。

夫婦で「あーあ芸能人の〇〇さんやっちゃったね…」くらいなら良いですが「不倫するような人だと思わなかった!最低!女の敵!」というようなことを言うと相手は不安を抱えてしまうかもしれませんよ。

不安に思うことは現実になりやすいとも言われますので、なるべく不安を植え付けないようにしたいですね。

許すことは自分のためでもある

人は許せないと思えば思うほどにエネルギーを消耗します。

許したいのに許せない自分が許せない。と苦しむ人もいるでしょう。

許さないということは、許せなかった事象を何度も何度も思い出し、その度に自分で自分を傷つけてしまいます。

それを繰り返していたら、もうボロボロになるのは目に見えていますよね。

許せるようになるには時間がかかりますが、まずは「まぁいっか」、「どうでもいいや」、「へぇ〜」というような無関心な状態を作り出しても良いでしょう。

もしくは、許せないと感じる自分をまずは受け入れましょう。

許せないと感じる自分を押し殺すのは良くないので、自分で自分に「許せないよね。よくわかるよ。つらいよね。」と心の中で話しかけます。

まずはその感情を受け入れてください。

受け入れたら、現実には出来ないようなことを想像します。

例えば、許せない相手をビンタするとか言いたいことを全て言うとかなどです。

スッキリするまで心の中で罵倒しても良いし、泣きじゃくっても良いです。

気が済むまで、誰もいない(誰かに邪魔されない)ところでやってみましょう。

それから「もういいや。許そう」と思えれば良いですし、思えなければ時間をかけて許せない気持ちを極限まで高めてみるということを繰り返します。

繰り返しているうちに馬鹿馬鹿しく感じるかもしれません。

馬鹿馬鹿しく感じたら、それはそれで良いです。

感情が動くままに行ってください。

ちなみに、許すや怒りに関する本はたくさんあります。

ご自身に合う方法がきっとあるはずなので、どうしても許せない場合は色々な本を読んでみてください。

最後に

もし、大切な人を凄惨な事件で失くした場合、私は犯人を許せるだろうかと考えます。

恐らく許すことは出来ないでしょう。

犯人の生い立ちや人柄、人格的に情を持つ可能性もあるかもしれません。

でも、私は起きた出来事、その人が起こした暴挙に対して怒りと憎しみを抱くでしょう。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉のようにはいかないと思います。

しかし、憎しみや恨みは聖書において悪循環を招くとも言われています。

マタイによる福音書5章38節~42節「復讐してはならない」の1部に「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」とあります。(ルカによる福音書6章27節~36節「敵を愛しなさい」にも同等の文があります)

私たちはやり返したら、その悪人と同類になってしまいます。

そんなことをしたら罪人で溢れかえってしまう。

私は犯人を許せるかどうかに戻ります。

私は許せないだろうけど、復讐はしない。

犯罪者と同類になりたくないからです。

許すでしょうとは言えないのが本心になります。

では、家族が多少の間違えや私を傷付けるような行動をしたらどうするか。

家族なら、時間がかかろうが許します。

特に愛して自分で選んだ夫のことなら尚更です。

だからと言って、夫に「不倫しても許してあげるよ」などということは言いません。

基本的に不倫は反対派だと伝えた上で、もしその時が来たら苦しくて憎しみが湧くとわかっていますが時間をかけて許します。

許した先どうなるかわからなくても、私は私のために夫を許します。

DVなどに悩まれている方や何度も裏切られている方々は、私の例に当てはまらないかもしれません。

でも、自分だけは自分を許して、受け入れて今後どうするべきなのか考えて頂きたいです。

今回の記事はとても長いものとなってしまいました。

書いては消しを何度もして1週間以上経ってしまったので、分かりづらい部分もあるかもしれません。

ただ言えることは「許しは自分自身の心の救済になる」ということです。

それでは、良い1日を…(*^^*)

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