完璧主義の出来損ない

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どうも!ひつじかいです(*^^*)

私はどちらかというと、完璧に物事が進まないと嫌だと思うのに完璧には出来ない・・・ということで自分で自分を責めていることが多かったです。

そもそも完璧ってなに?という感じではありますが、自分を追い込む「呪い」というのはどこから来るのか考察していきたいと思います。

完璧でないと愛されないのか

「自分が悪い子だから、お父さん、お母さんは自分のことを愛してくれないんだ」と子どもながらに考えていました。

きっと兄弟姉妹がいて比較して育ったという人や親から虐待を受けて育ったというような人は、愛されない原因を自分に持ってきてしまうということが多いです。

親から愛されないとどこかにその気持ちが向いてしまい、学校で人間関係を上手く築けなかったり、非行に走ったり、異性に愛情を求めたり・・・と様々な弊害が起こります。

いやいや、私は親に愛されないで育ったけど、問題なく生きてきたよと言う人もいるかもしれません。

確かに、親に左右されず立派に育つ人もいますし、何かしらの問題が生じていることに気づいていない場合もあります。

私の母の場合、3人兄弟(兄、母、妹)の真ん中に生まれました。

母のお母さん(以下おばあさん)は、母に厳しかったそうです。

母が幼少のときに、おばあさんが気に食わない行動してから可愛がってくれず、一時的に養護施設に預けられていました。

おばあさんは、母が幼いときに他界し、母が家事などを担うようになったそうです。

思春期を母親がいないことで、苦労しただろうし、青春時代も周りの子達のように楽しく過ごすことは出来なかったと聞いています。

私の母は「幸せな家庭」への憧れが強かったため、20歳で父と結婚しました。

母が21歳のときに姉が生まれて、3年後には私も生まれました。

私達姉妹が生まれてから母は幸せだったそうです。

しかし、父との関係はイマイチでした。

父は優しいところもあるし、経済力はあったけれど、家庭を顧みるような人ではなく、気分屋で家にもあまり帰って来なかったです。

母は、母親としても妻としてもよくやってくれていたし、どちらかと言えば完璧な周りからも羨ましがられる母親でした。

それでも、実の母親に愛されなかった。

夫にも愛されているのかわからない。

それは何故なのでしょう。

母は、私達姉妹がいればそれで良かったと言います。

本心で言ってくれているとわかりますが、完璧に家事や育児をしていても夫に愛されないのは悲しいことです。

私も姉も母には感謝していて、子どもの頃から大好きなので、それは母にとって救いで希望なのかな・・・とも思います。

私の場合、夫から離婚して欲しいと言われたとき、私がグータラで家事もまともに出来ないし、何もかも上手く出来ない(完璧な妻じゃない)から離婚だなんて言われるんだと思いました。

完璧じゃないために愛されないなら、完璧になろうと家事に精を出しました。

家のことを色々していると夫が「ありがとう」と言ってくれるようになりました。

それに気を良くして夫の心に入り込もうとすると夫は離れていく。

もっと頑張らなきゃ!と思ってもなかなか上手くは出来ない。

結局、完璧に家事をするということは出来ませんでした。

頑張っていても夫の気持ちは戻ってこないし、ある程度のところまでやれば良いかと開き直る始末です。

私と母は性格的に似ている部分も多いですが、家庭においてのあり方は正反対だと思います。

どちらが幸せかなんて測れませんが、完璧だから良いというわけでもなさそうだと感じています。

現在の私はグータラではありますが、幸せですし夫からも愛されているという確信が持てます。

そう考えると、完璧だから愛されるわけではなく、欠点があっても人は愛されるのではないでしょうか。

完璧は良いことなのだろうか

母の話に戻ります。

母は、完璧に家事や育児をしていましたが、それなりに抜けているところはありました。

父は普段の母の行いに感謝をせず、粗を探していたように思います。

父は、母のことを愛していなかったかもしれませんが信頼はしていました。

家のことや私達姉妹の事は母に任せていましたし、お金の管理等も母に任せている部分もありました。

私の勝手な考えですが、父は「愚痴や文句も言わずに家事や育児に勤しむ母に感謝や信頼をしつつも、恐怖を感じていたのではないか」と思います。

人間としてのポテンシャルは母の方が断然上で、それに甘えていた部分もあるし、敵わないと恐怖を感じていたのだと考えます。

小型犬がキャンキャン吠えても、ドシッと構えている大型犬のような構図です。

大型犬は、自分が攻撃したら小型犬が傷つくことをわかっているから手出ししないですし、キャンキャン吠える小型犬は弱いのに威嚇してしまうんですよね。

(私は犬好きなので、それを悪くなんて思いませんが・・・^^どちらも可愛い♡)

「完璧な人=隙きがない」だと思います。

隙きのない相手に弱みを見せるのは、こわいことです。

自己開示の返報性のように、相手が同じような悩みや痛みの経験があって、打ち明けてくれるともっと話したいと思えます。

開示者の自己開示と同じ内面性,話題の広がりをもつ自己開示が受け手から返されることは,自己開示の返報性として知られている。

有斐閣 心理学辞典より

完璧な妻ほど、夫との距離感が生まれてしまうそんな可能性もあると考えます。

対して私は、完璧を求めるのに完璧になれない未完成の人間です。

それでも、良いと結婚してくれた相手に完璧になって接しても「そんなの求めてないわ!」と思われてしまいます^^;

自分が出せる力の8割くらいでいられるのが家庭(心休まる場所)なのかもしれませんね。

完璧だから人に好かれるわけではないし、
グータラな人間だから悪い子どもだから
愛されないわけでもない。

愛される人とは・・・

完全に持論なので、多くの人に響きものではないかもしれません。

私が思う愛される人とは「いつも笑顔で、真っ直ぐ相手を見ている人」や「少し抜けていて手助けしたくなる人」などだと思います。

笑顔もなく、隙きもない相手には、心を開きづらいです。

誰からも愛される人は、笑顔が素敵で人間味溢れていると思います。

愛される妻は、家で屈託のない笑顔を浮かべているでしょうし、家事もやるときはやって、サボるときはサボって自分を可愛がっている人だと思いますよ(^^)

最後に

完璧ってまず無理なことですよね。

掃除のプロ、料理のプロ、クリーニングのプロと言われる人たちみたいに家事が出来たら良いなと思いますが、一人で何役も出来るほど器用な人は少ないと思います。

そもそもプロ並な家事が出来るなら、それを仕事にした方が良いです。

お金に余裕があるなら、家事の外注もして心に余裕を持った方が家庭円満になれると思います。

育児だって、何が正解かわからないし、育児書は何年か毎に内容が変わっていますよね。

完璧だと思っても、後で見返せば「ああすれば良かった。こうすれば良かった。」という気持ちが湧いてしまいます。

完璧を求める人は、自分に限界を設けてその限界に達するまで・・・と重荷を自分に背負わせてしまうのではないでしょうか。

完璧ではなく、このくらいでいっかというゆるい気持ちで過ごせれば、毎日笑顔で過ごせるようになると思います。

無理は禁物!自分を可愛がって、労りましょう(*´ω`*)

それではまた(*^^*)

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